神は妄想である

GW中から読み始めた本をようやく読了。長かった_| ̄|○

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

はじめに警告します。今現在、特定の宗教を信仰しており、今の生活に不満や疑問を感じていない人は、ここから先は読まないでください。今すぐブラウザを閉じ、今日の日記には決してアクセスしないことを強く勧めます。
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タイトルの通り、神−宇宙を創造し、創造物(特にヒト)の運命を監視し、ヒトの祈りに答え、罪を罰し、あるいは赦すモノ−の存在と、宗教の必要性を徹底的に否定している本です。
神は存在するのか。宗教とはなぜ発生したのか。社会生活において宗教は必要なのか、むしろ宗教は不必要というより害悪ではないのか。その根拠を、論理的に、科学的に、そして徹底的に説明しています。


アメリカ人の多くはダーウィンの進化論を信じていないそうです。なぜなら、聖書にはそう書かれていないから。聖書に書かれている内容が正しいという考えだけで、思考を停止し、自分の意見に反対する存在に対して攻撃的なまでに対応する。ダーウィンの進化論が正しいかどうかはともかくとして、少なくとも進化論は様々な物証と科学的根拠に基づいた理論であるのに対して、ダーウィニズムを反対する人たちは、単に「聖書の内容が正しいから」という論拠のみ。その聖書も、実際は様々な人たちによって編集された本であり、よく読まなくても矛盾点*1がたくさんあるのに。僕は科学万能であるというつもりはありませんし、解明できないこともあると思いますが、解明できないならできないなりの説明が必要であると思います。ただ、宗教だけはなぜか特別扱いされている。


信仰の自由といっておきながら、特定の宗教を信仰している両親の元に産まれた子供は、信仰の自由が事実上認められていない。なぜ?
キリスト教原理主義者の中には妊娠中絶に反対する人たちがいる。人の命を守ることを大義名分としている彼らが、中絶手術を行っている産婦人科医を執拗なまでに攻撃し、あるいは殺害してしまう。なぜ?
神や宗教が人の規範たる存在として必要なのか?
人の精神的な救済を行う存在として、神は適切な存在なのか?宗教は必要なのか?


容赦ないまでの無神論武装されているこの本は、お世辞にも万人には勧められない本だと思います。
でも、僕がそうであるように、正月に神社に初詣に行き、観光地の寺を参拝し、クリスマスの雰囲気を楽しんでいるような、神や宗教と言う存在を漠然に考えている人にとっては、多少実感のわかない部分があるかもしれませんが、基本的には抵抗無く読み進めることができる本だと思います。
タイトルのインパクトに負けてしまい、ハードカバーであるにも関わらず衝動買いしてしまった(そのせいでハードカバー用のブックカバーまで買ってしまった)本ではありますが、少なくとも僕にとっては、値段以上の価値がある本だと思います。

*1:新訳聖書になると矛盾点は解消されているらしいですが。